自分の人生を振り返ってみる
幼少時代
幼稚園には、年長の頃から通い始めた。
なんでその歳になってから通い始めたのかはわからんけど。
でも社交性の成長という点で一歩出遅れた感はあったのかも。
めっちゃ人見知りの子供でしたから。
ちなみに一人っ子なので、幼稚園に年長で入って初めて同年代とまともに喋ったということになる。
小学校に入ると、言葉の壁に悩む。
壁って言っても、関西弁か標準語かっていうだけなんだけど。
僕の母親は関東生まれの人だから、僕の出身は兵庫でも、家族での会話は標準語だった。そのため、まず覚えた言葉は標準語だった。
幼稚園のときは言葉のギャップで悩んだ記憶はないんだけど。(幼稚園児がそんなことで悩まんわな、ただただ無邪気…)
幼稚園と少し離れた場所の小学校に入り、友達もリセットされ、言葉にもギャップを感じ、うまく自己主張のできない少年でした。
ま!高学年になって、なんだかんだ友達もできて、いつの間にか関西弁も喋るようになってたけどね!それでも、引っ込み思案なことに変わりはなかった。
ポケモンにどハマりする
たしか小学校低学年の時にポケットモンスター赤緑が発売されたんよなー。
僕は一歩遅れてブルー版を買った。
めっちゃハマった
ええ、ポケモン大好きでした。今でも好き。
アニメも大好きで超見てた。地元はテレ東系列が映らなくって、ビデオを一週間レンタルして、返すまでの一週間、同じ話をほぼ毎日見てた。
サトシは今でも僕のヒーローです。
ONE PIECEにもめっちゃハマる
小学校高学年の時だったと思う。
ニンテンドーゲームキューブで発売された「ONE PIECE トレジャーバトル」というゲームがきっかけでONE PIECEを知り、漫画を集めた。
散々読み返して、模写したり、セリフを覚えて一人で叫んだりしてた。
挙句の果てには友達に「クッハッハッハ…!小物が…!!」※1とスマブラで勝つたびに罵倒を浴びせていた。
※1クロコダイルの真似をするウソップのセリフです。
罵倒を浴びせたSくんやMくん、今更ながらごめんね!
しかしこのONE PIECEという作品が、自分の人生観に大きな影響を与えたことは間違いない。
「夢のために戦って死ぬんなら別に良い」というルフィのセリフに、非常にショックを受けたことを覚えている。そして、その考え方にめちゃくちゃ憧れた。
ONE PIECEを読んでなかったら、今の自分はないと断言できる。
あ、ONE PIECEの好きなセリフまとめ!みたいなのをあとで書こう。
ネタ一個増えた。
中学時代
中学の頃は主に卓球とゲームしてた。
卓球部でそこそこ真面目に頑張って、個人で県大会には出たけど、一回戦で緊張し過ぎて負けた。ちなみに相手もめっちゃ緊張してて、お互い手先震えながらの泥試合だった。懐かしい。
ゲームはゲームキューブソフトが全盛。
スマブラDXとカービィのエアライドは死ぬほどやった。
その影響で、両作品のプロデューサー桜井政博さんを尊敬してます。
桜井さんのコラムをまとめた「ゲームを作って思うこと」「ゲームを遊んで思うこと」という本が面白いのでオススメ!ゲーム好きなら面白いと思う!
高校時代
この頃、友達の影響でオタクに進化。
や、オタクを名乗るのはおそれ多いな。
ちょっと深夜アニメとかにハマった程度です。
「涼宮ハルヒの憂鬱」とか「らき☆すた」とか、京アニ作品を神と崇めてました。
ニコニコ動画に入り浸ってたのもこの時期ですねー。
自分でお年玉貯めてパソコンを買ったんです。エプソンの。
当時のニコニコ動画で好きだったのが、MAD動画。
MAD動画についてざっくり言うと、既存のアニメ作品とかを編集して面白おかしくしたり、感動的にしたりする動画のことです。
ハルヒもそうだし、遊戯王とか、コードギアスとかもよくMADにされてて、ランキングに面白そうな動画が無いか漁るのが日課だった。
ただ著作権的にアウトだったんで、今ではほとんど見られなくなってしまいました。
MAD動画で作品を知って、本編を見て好きになることもあったので、無くなったときは寂しかったですねー。まあ、アウトなんで仕方ないんですけどね。著作権は守らないと。
高校卒業後
高校が後半にさしかかってくると、「なんの為に勉強しなきゃならんのだ病」にかかり、成績が落ちてくる。一応進学校で、みんなが大学を目指す中、なんと大学に行かないという決断を下す。
大学に行かずにどうしたかというと。
上京して声優を目指しました
上記の通りです。声優を目指したんですね。そして東京で一人暮らし。
この時の心境としては、
・勉強したくない
・大学に行きたくない
・地元を離れたい
という、どっちかというと逃げの思考でした。
もちろんアニメが好きで、声優さんも好きで、声優になりたいという気持ちもあったけど、あくまで嫌なことから逃げる為の、都合の良い口実としての夢だったと、100%そうとは言えないけど、そういう側面があったのは否定できない。
でも、それはそれで良かったと思ってます。
動機はどうあれ、中途半端に大学に行くよりは面白かったと思えるから。
ま、結局声優を仕事にすることはなかったのですが。
雑貨屋で働く
声優の道はひとまず諦めて、某大型雑貨店でバイトを始めました。雑貨好きなんす。
発注・品出し・接客などなど。途中で正社員になったりしたけどやることは変わらず。
まあまあ楽しくやっていたし、お客さんに商品について教えてあげたりして感謝されるのは心地よかったのだけど、4年程でどうしようもなく飽きる。いや、もう少し早めに飽きてはいたけど、4年で限界を迎えた。
んで辞めた。
しばらくニート
8ヶ月ほどニートを満喫。フリーゲーム作ったり小劇場で役者したりして、ダラダラと過ごす。舞台の脚本・演出論のワークショップみたいなのに通ってたのもこの頃。内容があんまり面白くなくて長続きしなかったけど。
小劇場の役者やったときは、稽古で時間もかなり奪われるし、お金にもならないし、大変だなぁと実感。好きじゃなきゃやってらんないと思った。つまり、自分はそんなに役者をするのが好きじゃないと自覚。
あと、何かを作り上げるなら、一人で黙々と作る方がたぶん向いてる。
でも、一人だとモチベーションを保つのも大変だから、結局は誰かと関わりながらでないと完成まで漕ぎ着けられない。
フリーゲーム制作や役者を経て、そんなことを思った。
貯金がそこを尽きてバイトを始める
飲食店でバイトを始める。クラフトビールをメインに扱っているお店。
その影響でクラフトビールを好きになる。料理も上達。もともと自炊はしていたけど、料理楽しい!と思うようになったのはこのバイトのおかげ。
デザインスクールに通う
週一で半年間、デザインを勉強し始める。
きっかけは、バイトでクラフトビールの名前を黒板に描くのが楽しかったから。パッケージに使われているフォントや、そのビールに関連した挿絵をチョークで描き写していた。あー、これを仕事にできたら面白いかもなぁと思った。
学校ではIllustratorとかPhotoshopをいじって、デザインの基礎知識を学んだり。
んで、実際に色々作ったりしてなんだかんだで無事卒業!←今ここ!
だいたいそんな感じに生きてきました!
いま実家に帰郷してきて暇なので、前からやってみたいなーと思ってたブログを初めてみたというわけさ!!以上!!